豊岡自動車道日高神鍋高原インターが完成して神戸が近くなったように感じる

当店は豊岡市日高町(旧日高町)から村岡へ抜けて国道9号線へつながる国道482号線と国道312号の交差点近くにあります。昨年29年3月25日に豊岡自動車道日高神鍋高原インターが完成しました。これまで一般道で和田山までより約10分短縮しただけなのだが、これによって日高神鍋高原インターから新神戸トンネル生田川出入口まで1時間56分(Googleマップの計算上)と2時間を切るようになりました。
同じ兵庫県でありながら、神戸より京都を起点とする同じ山陰本線であり、京都市内の方が近い気がしていたのですが、京都縦貫道路ができたとしても、京都駅までは2時間36分かかります。(中国自動車道経由なら2時間20分)神戸の方が約40分早く2時間を切りました。

 

ところで、三叉路だし豊岡方面から左折してインターに入るのに信号なしの「左折可」という標識でいいのではないでしょうか?左折のみなのに赤で止まる必要があるのか疑問に感じます。神鍋方面からインターへ右折は交通量が多いようであれば赤から右折専用信号もできるし。。。この標識、一方通行と色違いで紛らわしいですが。
京都市内の知らない交差点で後ろからクラクション鳴らされたことがあります。


上:一方通行、下:左折可

数年後、豊岡方面へ延伸するとまた交通量は変わるでしょう。

平成29年度 一般法人 達徳会懇親総会に初参加

豊岡高校の卒業生で組織される達徳会の懇親総会に初めて参加しました。

全体で700名弱の盛大な懇親総会でした。

次回担当期であるわが28期は最も多い30数名の参加となりました。

 

  

日時 平成29年9月16日(土) 10時15分開会
場所 豊岡市立総合体育館
担当期 27期(昭和50年卒)

くわしくは28期チャンネルへ

古事記に続き、但馬故事記の現代語訳に

古事記に続き、『国司文書 但馬故事記』の現代語をいよいよやることにした。

いよいよというのは、

2012年ころ、この複製本が豊岡市図書館にあったので、お借りして感銘を受けた。但馬の成り立ちが実に詳細にしるされている。

コピーして、手元に置き、ブログで神社記録の神社拾遺や歴史ブログにもバイブルにしている。

これは、但馬の人や但馬の歴史に興味のある人なら、その詳細な記述は他を圧倒するもので、どんな但馬史よりも理路整然と分かりやすい。

まずは、序と第一巻・気多郡故事記から、はじめている。

但馬国ねっとで風土記

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おひとりさまのあったか1ヶ月食費2万円生活 四季の野菜レシピ (メディアファクトリーのコミックエッセイ)

東京にいる長女の第2作目が出版されました。
amazonならびにお近くの書店で発売中です。

なんだか知りませんが第1作目がかなり売れたみたい。

おひとりさまのあったか1ヶ月食費2万円生活 四季の野菜レシピ (メディアファクトリーのコミックエッセイ) 単行本 ? 2017/4/28

長女が第2作目を出版しました

年寄りを連れて三千里

母親が兄弟同士最後になるかも知れないので会いたいと長女のおばさんが暮らしている三田の有料老人
社会福祉法人敬寿記念会特別養護老人ホームゼフィール三田へ行った。

母親は6人兄弟で、長男、次男のおじさんはもうこの世になく、残る女の91歳の母親と私のおばさんにあたる2人の3人を載せて、4人が集まれる最後になるかも知れないから連れていけという頼みであった。

昨月25日開通した日高神鍋高原インターから養父市八木(今滝)のおばさんを拾い、
播但自動車道で姫路の末っ子の香寺町のおばさんを載せる。

近畿豊岡自動車道ー播但自動車道ー福崎-中国自動車道 神戸三田

まるで広い兵庫県を但馬ー播磨ー丹波とL字に駆け巡るようなドライブ。疲れましたw

子供の頃にいろいろお世話になった昭和の良き時代が蘇ってくる。叱られたり褒められたり怖かったおばさんたちがこの車にみな乗ってると思うと、いろいろなことが蘇ってくるのだ。

そんなことは関係なく女3人だから、車内で勝手に分けの分からない話を数時間延々聞かされある意味地獄の黙示録である。これは人生の業だと悟るしかない。

個人的なことより、高齢化社会に世話になった高齢者たちの幸せとはなんだろう。今年60歳を迎える自分もやがてそうなるのだから。

播但道から岐路竹田城が見えるトンネルでそんな母親たちが但馬の山々はやっぱり美しいなあ、城がきれいだなぁといった。どのトンネルか憶えていないが姫路から但馬に行く間の竹田城の手前トンネルでその真下を通る絶好のポジションがある。

その母は中島家のルーツや歴史好きでいろいろ調べていた。そんな母親たちの感想ではなく、竹田城含めてその家老中島家の血を継ぐ者のはしくれにとって、なんとか、その竹田城やその家老家として関わった子孫のおばさんたちや竹田城のことを遺さねばならないと思うのだ(けど)。播州から赤松が南但を所領に治めるために築いた砦が竹田城の礎である。母系祖先中島家はその家老中島重右衛門として、与えられた所領は養父郡(大塚)だった。秀吉の但馬征伐によって百姓に下った当家は、この私の母系子孫である。私の母の兄弟でようやく代々中島重右衛門から単に重門になったのである。それが母の6人兄弟の長男。赤松とともに竹田城築城に従って家老中島砦(佐用町中島)の中島十右衛門が但馬に移住したのが母方のはじまりである。したがって元々は但馬人ではない。といっても三代続くと江戸っ子といえるのだから十何代前の話である。
本家に円山応挙が滞在し門下が描いた絵が残る。また古い仏像もある。したがって私のルーツは但馬ではなく播磨上月町となる。

「神社拾遺」の写真を改めて再登録しています

別のブログ「神社拾遺」https://jinja.kojiyama.net/があります。私の数あるブログ(HP)の中でも最もアクセス数の多いサイトですが、これは神社に関心を持つ前に、そもそも郷土史に興味があったからです。2003年頃だったろうか。ディアグスティーニの「日本の歴史」の冒頭に、「失われた日本のミステリー」というキーワードで粉々に破壊された我が久田谷遺跡が取り上げられた。

すべては素朴な疑問だった。但馬は全国でも取り上げられるほどミステリーの宝庫なのか?

日本誕生の足がかりに、目と鼻の先の地区に全国でも稀な粉々に破壊された久田谷銅鐸。

なぜ但馬国は生まれ、その国府は気多郡でありここだったのか?これはど真ん中で生まれ育ち暮らしてる自分にとってショックだった。そんなに身近に但馬のど真ん中にいたのかと。

生まれ育った区の神社は、日本の歴史から言って取るにならない100年しか経ていない新しい区なのである。しかし、神社はそこに暮らしている村人の区のシンボルであり、祀られ、祭り、政りごと、すべての行政のみなもとだったのだ。

ではどうして鳥取県若桜町の「舂米神社」(正確には舂の下部は旧)が区の神社になったのか。

そんなことから始まり、10年以上、式内社を中心に近畿から1200社近く式内社を出雲から伊勢まで回ってきた。

「神社」いろいろ神社の維持管理は大変だけど、これは日本のルーツであり、村の歴史であり、これを失えば2600年という世界最古の日本を遺さねばならないと思うのだ。

寺社とひとまとめていいますが、神社は各檀家の仏教とは異なり、宗教ではありません。

で、写真を再度きれいにしたいと古いデータなどからこつこつ再登録しています。

日本の世界最古の天皇と国旗を守ること。

右翼とか左翼とか言う前に、すべて日本の世界最古の神として自然、祖先、すべてに感謝する。そんな当たり前の精神が日本人でしゃないでしょうか。これは人間の生き方としてあらゆる宗教を超越しています。

GHQや戦後のデタラメな自虐史観を続ける朝日新聞やNHKをはじめ東大から大学教授までが、いかにくだらなく歴史を勉強もせず教えているのかを。なぜ彼らはそれをつづけるのでしょう。

この日本が戦争回避してきたのに欧米から仕掛けられ、そして一度戦争に負けたらといって、なぜ謝り続けねばならないのでしょうか?

野球でいえば一度試合に負けたら、次は勝つことを考える。次は勝つためにどうすればいいか。それがまともな思考です。

欧米人より日本人はどうみても世界で最も優れた民族です。和を以て尊しと為すと聖徳太子がいった精神。まして世界最古の天皇を仰ぐ消ゆ稀な恵まれた世界最古の国です。

でもガラパゴスになりがちで平和ボケの間に、パナソニックやソニー、東芝などがシナ朝鮮に技術を教えそれは上から目線でした。それがそもそも誤りだったのです。確かにそうなったほど日本は世界でも経済大国でや取り残される前に日本とは日本人のルーツとはアイデンテュティは何なのか?それが神社だと思います。

今、求められるのはシナ朝鮮を甘やかして増長させたのも日本で、今鉄槌を下すのはその日本です。彼らは聖徳太子の頃から何千年たっても世界の屑なのです。私がヒトラーならユダヤ人とシナ朝鮮人は世界のゴミだと皆殺しにした方が世界のために思います。(ヒトラーを独裁者残虐者と仕向けたのもユダヤ人であり、困窮したドイツを救ったのはヒトラーです。)もっと勉強しましょう。アメリカは腹黒くアホな国なのだということを。まず日本を考えましょう。国家とは世界中そういうことです。まず核を持ち自衛隊を国軍にすればシナ朝鮮はおとなしくなります。

北朝鮮やシナ、韓国が急速に変化しています。いま日本がすべきはこの崩壊に憲法改正をいっている場合ではないし、軍備増強です。一刻も早く北朝鮮からいつトチ狂って核ミサイルを日本にぶっ放すかもしれないのです。

 

事務所のロールスクリーンを交換

オープン以来20年タバコを吸うので黄ばんでいた窓のロールスクリーンを20年ぶりに交換しました。前々からしたかったのですが、某タチカワブラインド製のスクリーンは高価です。そこでネットで検索するとプロジェクター用のスクリーンとしてニトリの遮光ロールスクリーンホワイトの裏地が利用できることを知り、初のアイティとニトリデビューです。2つある窓のもう片方は安価なブラインドにしました。

http://masayamuko.com/projector-screen-nitori/

ロールスクリーンを外しました

下は取り外したロールスクリーン

上はニトリで購入したブラインドとロールスクリーン

◯遮光ロールスクリーン チェーン式(ドルフィンDBR165X220)

カラー:ホワイト  5,490円(税込)

◯既製ブラインド(リンクス3 IV 165X138)

カラー:アイボリー 1,690円(税込)

値段もあって某タチカワブラインドのように器具や生地は期待はしませんけど。しんどかったのは窓枠天井部にキリで開ける作業。窓枠の木質が固くて疲れました。

出来た!

  

乾電池のはなし

4月10日区総会用の資料も完成し、あとチェックしていただき印刷し組長さんとホチキスで作成をするだけになりました。

夜間パトロールのパトライトの電池が切れたとの連絡があり、もうあと事務長の任期も僅かなので書いておこうと思うのが乾電池です。区公民館の時計やワイヤレスマイク、区内防犯パトロールに懐中電灯とパトライトなど結構乾電池を利用します。昨年ワイヤレスマイクが使えなくなりました。マイク内部の単3乾電池から液漏れして接触する金属部品が腐食していたために電流が流れなくなっていたことがありました。

最近ではアルカリ電池が主流です。これまでのマンガン電池よりアルカリ電池の方がパワーがあるのは事実ですが、大広間のワイヤレスマイクのように年に数回しか使用せず、そのまま電池を入れっ放しにして長時間使用しない場合は液漏れしやすいのです。

時計やテレビリモコンや非常用懐中電灯などにはマンガン電池の方が適しているということをとある番組で知りました。最近ではアルカリ電池も安くなりましたが、とくに毎日使用しない公民館で使用するには休み休み使うと、電圧が回復かいふくするという特徴とくちょうがあるマンガン電池の方が適していますと書いておこうと思います。

 

シェアの高いパナソニック乾電池で左がアルカリ乾電池、右がマンガン乾電池

電池工業会のHP

(1) 中に入っている材料は両方とも、プラス極材料に「二酸化にさんかマンガン」、マイナス極材料に「亜鉛あえん」を使っていますが、材料の量や形、部品そして、中の作りが違います。

(2) パワーが違います。

  • アルカリ乾電池は
    パワーがあり、長持ちです。大きな電流を必要とする機器に向いています。
    例)CDプレーヤー、MDプレーヤー、強力ライト、ミニ四駆よんく など
  • マンガン乾電池は
    休み休み使うと、電圧が回復かいふくするという特徴とくちょうがあります。小さな電流で休み休み使う機器に向いています。
    例)時計、懐中電灯かいちゅうでんとう、リモコン、携帯けいたいラジオなど

公民館の時計や懐中電灯用にはアルカリよりマンガン電池が向いている

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