菅政権に潜む日本解体の思想

鳩山前総理は、「総理を辞するときは議員を辞める」といったはずだが、しかも、選挙応援に動いているのはどういうことだ。

また、来る参議院選挙で民主党が過半数を獲得したらどうなるか。
『正論』8月号 「菅政権に潜む日本解体の思想 高崎経済大学教授 八木秀次」

 菅直人総理は昨年12月に出した自分を本で次のように書いていた。
 「政策的に行き詰まったり、スキャンダルによって総理がない各層辞職を決めた場合は、与党内で政権のたらい回しをするのではなく、与党は次の総理候補を決めた上で衆議院を解散し、野党も総理候補を明確にした上で総選挙に臨むべきだろう」(菅直人著『大臣 増補版』岩波新書)

 まさに普天間基地の移設問題の不手際、社民党の連立離脱などで政策的に行き詰まり、伴わせて自らの「政治とカネ」の問題というスキャンダルを理由に鳩山首相は辞任を決意し、内閣総辞職をしたのだ。そうであれば、菅氏は副総理として鳩山首相に解散・総選挙を行うよう進言すべきではなかったか。それをポスト鳩山として真っ先に民主党代表選に立候補して、代表になったかと思えば、鳩山内閣の閣僚の普天間基地の移設問題の不手際で官房長官を仙谷氏に、口蹄疫でずさんな対応が問題となった赤松農水相の首を副大臣の山田氏にすげ替えただけで、小沢一郎幹事長の辞任に伴い行政刷新担当大臣だった枝野氏を幹事長にして蓮ほう氏に代え、あとは鳩山内閣のままだ。つまりこれこそ自身が書いたたらい回しだ。

同じ本には、

 「たとえば、与党の代議士に金銭的な疑惑が持ち上がったとする。野党は証人喚問を要求し、国会は委員会審議がストップする。そんなときにコメントを求められた総理大臣はおそらくこう言う。『国会のことは国会に聞いてくれ。私は政府の人間として、国会にあれこれという立場にはない』。官僚の一員である事務の官房副長官がこのように言うのであれば、それは正しい。しかし、総理大臣は国会議員であり、同時に与党の党首である。自分の党の銀河疑惑を持たれているのであれば、党首として何らかの処置をとるべきだろう。その視点が、質問するマスコミの方にも、抜けている。」
副総理という立場なら、真っ先にその思いを鳩山総理に言うべき責任感は感じられない。

<「国会内閣制」の実現>の意味するもの

 菅民主党政権は国民を再び欺きながら何をしようとしているのだろうか。
 菅総理は所信表明演説で「真の国民主権の実現」とし、「政治主導とは、より多数の国民に支持された政党が、内閣を一体となって国政を担っていくことを意味します。これにより、官僚主導の行政を変革しなければなりません。広く開かれた政党を介して、国民が積極的に参加し、国民の統治による国政を実現する。この目標に向け邁進いたします」「『官僚内閣制』から『国会内閣制』へ」という、耳慣れない変革を行うことを宣言している。
 
 『国会内閣制』の実現はあくまで手段であって、目的は『地域主権』に「国のかたちを変える」ことだというのだ。あるいは目的としてさらに『新しい公共』の実現を加えてもいいだろう。では、それらは何を意味するのか。

 要するに『新しい公共』も『地域主権改革』も『国会内閣制』も、すべては市民運動をしていた時代に読んだ松下圭一著『市民自治の憲法理論』、すなわち「市民自治の思想」が出発点であるということだ。

『新しい公共』とはプロ市民による『公共』の乗っ取り

 『新しい公共』とはとは何か。官僚が中心となってつくる公共政策を『古い公共』という。そうではなく、「市民」が中心となってつくる公共政策を『新しい公共』というのだ。

 官僚というオカミがつくる「古い公共」ではなく、「市民」「私」がヨコに連帯して「新しい公共」をつくるべきだと主張する。松井孝治氏も「新しい公共」を、国家よりも社会を重視する「民主党のDNA」とも呼ぶべき基本理念だと説明し、「新しい公共」とは、長年「官」が独占してきた「公」の機能を、その本来の持ち主である「民」への奉還することを意味していると説明している。

 いうまでもなくここで言う「市民」とは「普通の市民」ではない。はっきり言えば「市民運動家」のことだ。もっと言えば、左翼市民運動家、最近の言葉で言えば「プロ市民」が政策立案や決定に関与する仕組みをつくるのが『新しい公共』の一つの側面ということだ。いわばプロ市民による『公共』の乗っ取り。

 実はこうした仕組みはもう地方自治体レベルではつくられている。政府の『新しい公共』円卓会議の中心メンバーでる福嶋浩彦・元我孫子市長は自らの経験として『市長(行政)への市民参加以上に大切なのは、議会への市民参加です。(中略)市長・議会は、最終的に自分の責任で決めなくてはなりません。ただし、主権者である市民全体の公共的意識とずれた場合は、市長や議会の意志を是正する仕組み-常設型住民投票制度が必要です/我孫子市では2004年に市民投票条例を制定しました。投票資格者は18歳以上で永住外国人を含みます』と述べている。行政ばかりか、議会にまでプロ市民が入り込む仕組みがつくられようとしている。

 『新しい公共』の担い手である「市民」は何も「国民」である必要はない。この点、民主党は結党時の「民主党のめざすもの」で「定住外国人の参政権の確立に務める」と述べている。ここで言う「参政権」とは地方参政権だけを指すものではない。「定住外国人には、できるだけ早期に地方参政権を付与し、さらに一定の下で国政参加権についても実現するよう検討する」と述べているのだ。民主党はもともとそういう政党だ。

 また『市民自治』とは『個人の自己決定』のことでもある。子ども手当や選択的夫婦別姓制、非嫡出子の相続差別撤廃などの民主党の家族政策は、いずれも従来の家族共同体をいったん個人に分配し、その上で個人の自己決定ないし契約によって新しいそしきをつくろうと言うことだ。子ども手当は「国家は児童労働を禁止し義務教育制度をとって自動の稼働機械を閉ざしているのだから、児童に対して補償すべきである」とする東大教授・大沢真理氏の発想(『男女共同参画社会をつくる』2002年)が元々だということは本誌でも指摘しておいた。

 要するにこれは少子化対策でも育児手当でもない。大沢氏もどうどうとそう述べている。子ども手当が支給されるようになれば、親の扶養義務はもっぱら精神的なものになると大沢氏は言う。

 しかし、だ。精神的なものこそ壊れるはずだ。結果としてそうなるという前に、始めからそれを狙っている政策と考えた方がいい。選択的夫婦別姓制、非嫡出子の相続差別の撤廃も始めから家族共同体を個人に分解することを意図している。(中略)いずれにせよ、血の通った共同体を壊して人工的な組織に置き換えようというのが民主党の家族政策だが、その背景にあるのも『市民政治』という発想だ。

マルクスを使わないマルクス主義

 言うまでもなく、松下理論は憲法学や行政法学では異端の学説だ。学会の支持は得られていない。そのような理論に基づいて国家改造、いや国家解体が公然と行われようとしているのだ。
(中略)

 リーダーシップを鳩山・小沢体制では党の幹事長が握ったが、今度は官邸、そして首相である自分が握るということなのだろう。問題はここからだ。仮に来る参議院選挙で民主党が過半数を獲得したらどうなるか。政府と与党は一体の関係だ。衆院でも参院でも民主党が過半数を占める。野党は国会に議席はあるが、批判勢力とはならない。そうなれば、総理大臣主導の下で何でもできるということになる。通常国会は強行採決されたが、秋の臨時国会以降、法案の強行採決は常態化するだろう。そうなれば国民は民主党政権にただただ白紙委任した野過ぎない状態になる。
(中略)

 で、強権政治はあくまで手段に過ぎない。目的である「地域主権改革」という名の国家解体が行われ、「新しい公共」という左翼市民運動家の政府乗っ取りが組織化される。また、家族共同体の解体も次々に進んでいく。マルクス主義の目標は『国家の死滅』と『家族の廃止』だが、論理構成は異なるが、民主党政権の帰結するところは同じだ。マルクスを使わないマルクス主義、これが菅民主党政権の性格だろう。その意味ではoz倭一郎は危険だったが、菅直人はもっと危険だ。果たして国民大多数、いや、民主党の議員や候補者もそのことを分かっているのだろうか、賢明な判断が求められる。

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