マニフェストには掲げない民主党の正体 

 民主党の参院選マニフェスト(政権公約)の全容が16日、判明した。財政再建を鮮明に打ち出したい菅直人首相の意向を反映し、焦点の消費税増税を含めた税制の抜本的な改革を明記した。時期については「早期に結論を得る」とし、超党派での議論を呼びかけることも盛り込んだ。
(中略)

 菅首相が力点を置いた財政分野では「新たな政策の財源は、既存予算の削減か収入増による捻出(ねんしゅつ)が原則」と明記。国債管理についても、23年度の国債発行額は22年度(44・3兆円)を上回らないことを前提にする方針を掲げた。(産経新聞)

そもそも、マニフェスト(政権公約)としているが、現在英国で使われているマニフェストとは、宣言書・声明文の意味で、個人または団体が方針や意図を多数者に向かって知らせるための演説や文書である。

日本では、選挙においては政党の選挙公約の声明(書)において英語のマニフェストがよく使われたことからこの意味に限定されていることが多い。よって有権者に政策本位の判断を促すことを目的として、政党または首長・議員等の候補者が当選後に実行する政策を予め確約(公約)し、それを明確に知らせるための声明(書)との意味になる。この場合のマニフェストは「政策綱領」「政権公約」「政策宣言」「(政治的)基本方針」などと訳すことが多い。しかし、この用法は「選挙ごとに、政治の基本政策・基本理念が変わる」ことを意味する結果となることから、「選挙公約」、「(政治的)基本方針」とすることが適当であるとの論点もある。

しかし、この用法は「選挙ごとに、政治の基本政策・基本理念が変わる」ことを意味する結果となることから、「選挙公約」、「(政治的)基本方針」とすることが適当であるとの論点もある。

そんな公約を箇条書きしたものではなく1冊の書籍に相当し書店で販売している政党の政策集である。政権公約ではない。政策綱領声明文であるManifestoが具体的な選挙公約声明文となる構図は本家のイギリスの議会制度が大きく関わっている。アメリカでは代わりに「Party Platoform」などの用語がよく使われ、あくまでも党内の方策という面が強い。選挙公約声明としてのマニフェストはイギリスで一般に使われる用語であることを留意する必要がある。フランス、ドイツのように議員に対する命令的委任を明確に否定する政体もあり、イギリスの議会制度におけるマニフェストは半代表制やイギリスの議会主権の伝統のもとで独特の地位を占めている。

民主党は、「マニフェスト」方式を真っ先に採用して目新しさを狙ったが、それは独自の判断によるものと考えられる。また、マニフェストに縛られると変化への迅速な対応ができないとの批判も存在する。政権公約を発表したからと、必ずその公約を達成しなければならない、もしくは逆に極めて重要な課題だがマニフェストへの盛り込みを見送った事項を推進してはならない、というわけではないが、国民の不信感が生まれる。マニフェストは通常法的拘束力があるとはみなされない。

鳩山政権下で肝心の国の基本構想がなく、レストランのメニューで好きな料理を選んでいるのではないのだから、「政策綱領」「政権公約」「政策宣言」「(政治的)基本方針」などが示された上でその具体的政策として「子供手当」などを掲げるべきものだ。何も本来の公約でもなくメニューであればマニフェストではないし、これまでの政権公約となんら変わらないなら、有権者にも分かりやすく日本語でいい。昨年の民主党マニフェストではほとんどおいしいバラマキ案を併記し、その影でマニフェストに掲げていない重要な「外国人地方参政権」「夫婦別姓法案」「人権擁護法案」「国会法」などは国家主権を脅かすような法案を国民に知らせず政策INCDEXという裏マニフェストにのみ記載していた。そして「子供手当」「高速道路無料化」等も、財政面でそれを支持しない世論が多かったにもかかわらず、財源はあると強行したが実現できなかった。やるやる詐欺のイメージがあるから、次の参院選では政権公約と戻す政党が多い。

夏の参院選の選挙公約をどう呼ぶか、各党が悩んでいる。

 昨年の衆院選ではこぞって、政策の実施期限や財源などを示した公約を意味する「マニフェスト」と呼んだ。

 だが、鳩山政権がマニフェストにこだわり、財源確保の見通しも立たないまま赤字国債依存の予算を組むなど、この呼称の印象が悪化したためだ。(読売新聞 2010年5月13日)

「たちあがれ日本」、「日本創新党」、「国民新党」、「共産党」は「公約」、公明党は「重点政策」、みんなの党は「アジェンダ」を使う方針だ。

「菅直人新政権」の思想的背景 民主党が依拠する「市民自治」理論とは何か

「新しい公共」「地域主権」「官僚内閣制の打破」……民主党政権の施策の背景には、彼らが師事する松下圭一氏の理論がある。「松下理論を現実の政治の場で実践する」(菅直人氏)、「まくら元に置いて、年中読んでいた」(仙石由人氏)――次期政権の首相と官房長官もかつてこのように述べたことがあるが、「国家主権」や「国柄」の対極にある松下理論という危険な「市民イデオロギー」を政策化すれば、日本国家の解体は必定だ。

◆「松下理論を現実の政治の場で実践する」

 「民主党には政治に対する哲学や思想はありません」――。さる四月十日、新党「たちあがれ日本」の旗揚げ記者会見で、共同代表の与謝野馨氏はこう述べた。確かに、これまで鳩山政権がやってきたことを見れば、こうした指摘も理解できないわけではない。子ども手当をはじめとするバラマキ政策、沖縄の普天間基地代替施設をめぐる果てしない迷走、あるいは「事業仕分け」に象徴されるパフォーマンス等々、どこにも国家経営の確たる「哲学や思想」のかけらも見出せないからだ。

 とはいえ、民主党政権にはいかなる「哲学や思想」もないと高をくくってしまえば、甚だ危険である。国家を治めるための哲学こそないが、この政権が掲げる政策や政治スローガンには、国家を破滅に導く政治イデオロギーが透けて見えるからだ。

 しかし、これらの一連の言葉のオリジナルな発想が、一九六〇~七〇年代に書かれた市民運動理論にあることは余り知られていない。具体的に言うと、政治学者の松下圭一氏が流布した「市民自治」理論である。

 八木秀次氏は『正論』(五月号)において、とりわけ「新しい公共」について、その発想の根が「松下理論」にあることを指摘している。深刻な問題は、「官僚内閣制の打破」や「地域主権」にしても、その発想の根は「松下理論」にあると考えられることだ。政権交代後に出版された著書で松下氏はこう記している。

 「今日ではひろく使われている《官僚内閣制》という言葉を造語して、一九九八年、……『官僚内閣制から国会内閣制へ』を書いた。……その後一〇年をへて、この予測はようやく《政権交代》をチャンスとしながら、官僚内閣制の解体、《国会内閣制》の模索というかたちで、日本の政治現実にのぼってきた」(『国会内閣制の基礎理論』)

 市民運動出身の菅直人副総理は、松下氏の影響を特に強く受けており、「不肖の弟子」を自称していたほどだ。『大臣』(平成十年)の中で菅氏は記している。「私が政治家となって政治、行政の場で活動するにあたり、常に基本としていたのは、この本(引用者注『市民自治の憲法理論』)に書かれている憲法理論だったと思う。それは、大臣になったときも同様だった。『松下理論を現実の政治の場で実践する』というのが、松下先生の“不肖の弟子”である私の基本スタンスだったのだ」と。

 むろん、この話は単なる個人的なエピソードではない。民主党政権が推進する政策と松下氏との深い関わりを象徴的に示すものと言える。
 とすれば、「松下理論」とは何かを知らずしては、民主党政権の真の危険性は理解できないことになる。そこで、『市民自治の憲法理論』に主に基づき、「市民自治」論の概要を示すとともに、そうした「理論」がいかなる形で政策理念と化しているかの一端を示したい(ちなみに、松下氏の著書には、難解な言い回しや独特の造語がしばしば出てくるが、辛抱してお付き合い願いたい)。

◆国家主権と国柄の解体

 そもそも「主権」とは、「すべての中間団体に優位する最高の権力」の意味であり、対外的には他の内政干渉を許さぬ独立性を意味する。仮にその意味で「地域主権」が解釈されれば、教育でも福祉でも、「地域」(地方自治体)が決めたことについて、国は口出しできないことになる。あくまで国家統治を前提とした「地方分権」を徹底する意味で「地域主権」と言っているだけとの見方もあるが、そんな保障はない。

 とりわけ、「市民自治」論に基づいて「地域主権」が推進されることにでもなれば、わが国の主権は大きく損なわれていくだろう。菅副総理は、外交と防衛を「国の役割」に留めるらしいが、師匠の松下氏は、例えば外交について、「内閣による独占は実質的に崩壊している」と言う。また、防衛についても氏は、「自衛権は個人に属し、国に属するのではない」と捉え、軍隊も「国レベルだけでなく、自治体レベルでも設置できることになる」と言う。この論理で行くと、中国との朝貢外交を始める自治体や中国に基地を提供する自治体が現れてもおかしくはない。

 むろん、こうした「地域主権」に孕まれた危険性は、外国人参政権付与法案が実現すれば一層深刻さを増す。特に「国境の島」や豊かな水資源を湛える山村の過疎地などを含む自治体が国家から切り離されるならば、いずれ外国の事実上の「植民地」とならないとも言い切れない。

 問題はそれだけではない。井尻千男氏が懸念しているように、仮に道州制が導入され、「地域主権」が付与された場合、ある州は共和政体的となり、天皇陛下の行幸を受け入れないということも起きかねない。その意味で、「地域主権」構想は、日本の国柄の解体につながる恐れも決して否定できないわけである。

 以上、松下圭一氏の「市民自治」論を概観するとともに、それが民主党政権の政策理念の中に受け継がれている現状を論じてきた。こうした点からも、やはり民主党政権は「日本解体政権」と断じざるを得ない。〈日本政策研究センター研究部長 小坂実〉
〈初出・『明日への選択』平成22年5月号〉

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