いま日本の維新に必要なこと

/ 6月 7, 2010/ オピニオン/ 1 comments

宇宙人といわれた鳩山首相と政治とカネの昭和型政治のイメージである小沢幹事長、この二人の正反対の人物が代表を務める自由党と民主党が合同して新民主党を形成して7年。鳩山民主党連立政権が誕生し、支持率を落としたが、それは鳩山首相の指導力のない朝令暮改の言動が民主党への期待を落とし指導力不足が招いた結果だ。

菅直人副総理の新総理誕生で、しばし支持率を回復した。それは有権者の安堵感へのリバウンドであると思う。しかし、そのご祝儀ともいえる支持率がいつまで続くのか。

それは、菅直人という政治家は、政治家としての信念で徐々にのし上がってきた努力型というよりも、過去にも既存勢力に対する弱点を痛烈な批判で攻撃し、その失墜を煽って脚光を浴びるタイミングを巧みに利用している傾向がある。いわば、それ以上でも以下でもない。まあ、民主党自体が自民党の弊害を突く批判によって成立していると言える。

 

政治家としてその志と魅力は何か

小泉政権以降、毎年世襲による首相が交代する短命政権が続き、それは民主党になっても鳩山という大看板を持つ首相の失態で続いた。

菅直人氏は国家戦略担当大臣だったが、約半年もの間、その進展は見えず、財務相になってからも国益や外交、安全保障に対するコメントがないことだ。ついぞ機能せずに財務大臣になった。

世襲でも家柄でも金でもない平民宰相の誕生だ。しかし市民活動家出身の政治家が、総理大臣としては、国民が感動するしっかりした志しと魅力があるかどうかだ。

というか、政治家があらゆる分野に精通しているかは問題ではない。だから政治主導とは、補うためにも閣僚が組織され、行政を司る官僚の仕事を指導する経営力であり、何でも素人の内閣がやろうとして大きな政府を目指すことではない。

民主党には保守議員もいるが表には出てこない。それは民主党のみの特徴ではなく、日本の戦後レジームからの脱却をうたい、教育再生、国防、憲法改正などを打ち出した安倍晋三元総理を除いて自民党でも同様だった。

有権者が求めている指導者とは、わが国の未来をどのようにしたいのかという総理の国家における方針を示すかが、問われることになるのではないか。有権者の目が冷静さを取り戻したとき、菅新総理や民主党に問われる大きな課題は、(間違った社会主義)理想と現実との政党とはほど遠い芸能プロダクションのような党が現実的な経営のバランス感覚を持てるかであろう。
政治とはそうした方向性である。実務ではない。子供手当や高速道路無料化など、分かりやすい具体策をマニフェストに掲げて、不明な裏マニフェストでは国家解体を企んでいる恐ろしい法案を強行採決する。

どこが民主主義なのか。つまり自民党の長期政権に疑問を感じたまではいいが、自民党以上に、理念もなく綱領もなく、それゆえに、政策ではしっかりした(思考停止の)旧社会党の国家解体マニフェストが勝ってしまい、政党とはいえないバラバラな考えのタレントを集めたプロダクションのような党になってしまった。

でも、朝日新聞やNHK、社民党の福島瑞穂に問いたい。あなたは寝る前に玄関に鍵をかけないで寝ますか?

じっくりとこの国を考える人が先頭に立たなくてはならない時だ

言うまでもないことだが、今日の日本の国民意識、経済の凋落の根幹は、自主憲法を制定できずに後回しにしてきたことに象徴される。

もう民主党も自民党をぶっ壊したことで、その役目は達成できたしその先はまったく手探りだ。

どう考えても、もうイデオロギーなどという過去のテクニックに対する思考停止を取っ払って、この国を再生したいという志しを、国民が自覚しなくてはならない。にもかかわらず、菅新体制になっても国家戦略はない。

何もかも無茶苦茶になったこの国を再生するには民主党があと3年続くとすれば、そんな悠長な時間がもったいない。そういう暗黒時代を見せつけてくれたとしたら、小鳩体制はそれなりに意義深いとしなければならない。

では、社会批判ばかりで建設的意見を発しない人が、経営者であっても総理大臣であっても成長させていく能力があるだろうか。悪く言われるが代々身内に大物政治家を絶えず見て育った世襲政治家は、政治とはどうあるべきかをじっくりと考える素地があることは恵まれている。

日々の暮らしに追い回されていては、とてもそんな大局的な国家観を育てるゆとりはない。またどれだけ偉大な身内であっても、戦争の経験もない裕福に育てられ、それをそのまま世襲して、新たな発想を取り入れなければコピーに過ぎないばかりか進歩はなく後退を生む。なのに、そのぼんぼんばかりの自民党を批判して民主党は生まれたとしても、政権交代を果たすには選挙戦略に長けた旧自民党の小沢幹事長に頼らなくてはならかった。
しかし、それが民主党という分けの分からない野合の集になってしまった。ようやく政権交代を果たしたのと同時に、民主党には、この国を考えるビジョンが見えない。

国民の手でニッポンを取り戻すこと

日本の政治は自民党の長期体制で経済大国にはなったが、国民の意識は個人のバラバラな価値観による混乱を招いてきた。誰でもそれでいいと錯覚していたのだろう。

日本に限らない。どこの国でも先進国の政治はある意味堕落している。20世紀のイデオロギーによるパーティー(政党)も、東西冷戦崩壊後あまり重要な意味を失ってしまった。まだそれに気づいていないのか、気づいていてもどうしようもない国が共産主義による独裁国家である中国と北朝鮮だ。

また、それは一方のアメリカのたかだか100年程度の世界標準は通用しなくなっている。それは民主主義という名の下に、実態はアメリカの価値観を押しつけて覇権国家を国のシンボルにしてきた価値観が通用しなくなってきた。

日本が目指す道は、米中ではない。ザ、ニッポンがいまこそ存在価値が見直されてくるだろう。それは、世界でももともと民の暮らしを大切に育んできた日本のオリジナリティーに他ならない。

民主党の果たした役割は終わった。次は政界再編だ。

保守とは何か。それは戦後の社会主義体制の脅威から、日本を守ることを意味していたのだ。GHQによって左翼思想が強まり戦争に関わった人々は公職追放された。しかし、国同士が止むに止まれぬ事態に陥り国家総動員で戦うことが非難されていいものだろうか。それは国際法に則った正当な権利であった。

政治家でも、日本の歴史やとくに近現代をよくわかっていない。だから戦後メディアや一般の国民がわかるはずがないのである。

過去の事を守ること、それが「保守」ではない。国を守ること、日本を守ることが「保守」なのだ。それを非難するために左翼は国粋主義とか軍国主義とい極端な思想にからめて言う。彼ら左翼にとってはそれに従えないまともな人間は右翼とされてしまう。彼らのように大きな声を上げない。上げる必要がないからだ。でも黙っていたから日本の戦後の教育や政治がとんでもないことになったのだ。

誰でもそれなりに満足して日本など国家など考えなくても日々忙しくて送れているならば、国政になんて関心もない。しかし、行き着くのは大店法や市町村合併による小泉政権(それ以前からでこの政権だけではないが)の国家解体を進めた弊害だ。その要因は自民党であり民主党ではない。自民党も民主党もどうでもいいのだ。どうしたら日本を良くできるのかそのために政治はある。

 

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1 Comment

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