三原じゅん子 なんだかかっこいいじゃないか

Kojiyama/ 5月 18, 2010/ オピニオン/ 0 comments

三原じゅん子氏、自民党から参院選出馬表明

日テレNEWS24

民主党や野党も安易なタレント議員擁立には閉口する。そもそも参議院選にタレント候補を立てて起死回生を狙ったのは自民党だった。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

タレント政治家については、明確な定義があるわけではない。タレント業を生業としている者だけについてそう呼ぶ場合もあれば、単にメディアを通じて高い知名度があるという理由でタレント政治家と呼ばれる場合もある。メディアを通じて高い知名度があった場合には学者や作家、スポーツ選手出身者などについてや、テレビ局の社員であって厳密にはタレントには含まれないはずのアナウンサー出身の政治家などについてもそのように表現されることもある。

政党がタレントの擁立に走る背景としては、短期間の選挙運動で大量の得票ができるタレント候補は、選挙戦術上有効であるということや、選挙演説などで党の広告塔的役割を担ってもらうことができるということなどがある。
政治に関する経験や知識の少ないタレントが立候補するとの批判、および政党・政治団体がタレントを立候補させることを有権者から集票するための安易な客寄せに過ぎないとの批判がしばしば行われるが、職業差別に過ぎないとの反論もある。最終的には有権者の判断次第、というのが大方の見方である。

前述のようにタレント政治家と呼ばれる政治家(あるいは候補者)には文化人やアナウンサー、あるいはタレント業を職業とするものであっても政治に関し専門的に学んだ者も含まれている。タレント政治家の中には批判を意識してか、自らをタレント政治家と扱われたり、知名度のみで当選したとされたりすることに不満を持つ場合も少なくない。そのため選挙の際にはマニフェストなど政策の具体性を強調したり、親族あるいは友人や師弟関係にある者その他の交友の深いタレント(あるいは著名人)が応援演説を申し出てきてもあえて断ったりして、自らがその他のタレント政治家とは一線を画するとする戦術を採ることも多い。

片手間で議員やれるのか

議員は本来、代議員であり専業ではなく副業であるべきだ。世話役であるべきだ。
極端な話が基本は隣保や町内会(自治会)である。本業を賄いながらの村の世話役だ。
ヨーロッパやアメリカでも市長や議員は数人でボランティアであり、今でも明治の昔と大差はない。
私は数年前までは、25年以上地域の消防団の幹部やや商工会の役職、区や町の世話役をしてきたし、少ない渡航経験ながら欧米やアジア三国を見て、昔の日本の懐かしさを感じたのだ。
ドイツやイタリア、台湾、韓国などでコミュニティを思い出した。
日本の小泉政権の規制緩和、平成市町村合併や郵政の単純な民営化は間違いだ。
国のご都合主義で明治から、大正、昭和、そして平成になって広域合併が行われて過疎化が進んだのか。

いつからか専業になると初志を忘れて利権で飯を食うようになる。
市町村から都道府県議員の地方議員もそうである。
しかし、日本は1億3千万の世界有数の大国である。国政は町内会とは違うだろう。それだけの人生経験、国の歴史、国家観、地政学、政治学、経済と財政学、法学などは、ある程度勉強した上で国会に立ってほしい。
国民の命が託される責任があるからだ。

この国の政治はとにかくおかしくなっている。既存の政党概念ではだめ

よく見てみると、昨年の衆議院選挙で立ってた民主党の候補者は、文化人やアナウンサー及びテレビ局社員、あるいはタレント業を職業とすると知名度やルックスで勝ったようなタレントのオンパレードであった。
タレント議員が知名度で有利なのは確かだ。よくよく候補者の公約を比較して投票する人が多いとは思えない。また、どんなに公約が立派でも、その人が新人なら託して良いのか分からない。結局美辞麗句を並べ立てた公約(マニフェストともいうが)を信じてはいない。

あくまでも、その候補者の普段の姿勢や人間性に追うのではないか。だから悪口で「客寄せパンダ」といわれるタレント議員に何ができるのかの批判は必ずしも当たらない。その証拠に何十年も議員をやっていても不勉強で、抑止力を理解していなかった人が時の総理で、副総理、となって困惑している。社会党で学生時代に左翼学生紛争で頑張ってきた人が法務大臣、農水大臣、防衛も知らない人が防衛相になっている。労組が経産大臣である。

時代遅れの国会

政治家になる前に外交・防衛を勉強する時間はあるし、野党時代でも何も政治を勉強しないで、与党に反対することしか知らない人が国政を担う。しかも知らないなら関係官僚に聴けばいいのに政治主導といって、初めて大臣になれて浮かれているに過ぎない。社会運動家が間違えて閣僚になってしまったのだkら、なんと器の小さいことは言うまでもない。市場からはみ出されて自分がオカシイのに人のせいに国のせいにしてきたダメ人間の集まりが民主党であり、旧社会党や共産党、公明党だ。くずの人間のはけ口内閣だ。無能は言うまでもない。

そんな向学心も前向きな努力もない人は、人々の上に立って高級を貰える国会議員になる資格はない。こんな無能なバカどもが国を動かしているよりは、我々まともな人間だけが国政をやった方はるかに良い。

いろいろ、生活の中から国がおかしいと思う人たちが政治に関われば、もっと現実的な日本になるだろう。本当はまず地方から経験して、それでも自他共に勧められ国会に立つべき人のみでいいとも思うが、そうした中で応援する母体の癒着に染まってしまうケースが多い。

世襲がいけないといわれてきた。しかし、何でもいけないというのは早計だ。親であろうとなかろうと秘書から勉強してやがて政治家を志す人は、いきなり立候補するよりは勉強して苦労しているのは確かだ。

上手くしゃべろうとするよりも、心から話すこと、次第にどうしたら伝わるかを学んで話し方は上手くなれる。だから、最初はそれだけの人材なら話が下手くそでもいい。既存の政界の慣習を無視して、知名度でも本気なら伝わるのだ。

それはさておき、三原じゅん子氏が17日、自由民主党本部で記者会見した。

「国会議員の仕事と他の仕事と『二足のわらじ』を履けるほど器用ではない」と述べ、当選したら女優業を引退することを表明した。当選後も現役を続行すると明言した民主党公認の柔道女子五輪金メダリスト、谷亮子氏(34)を牽制(けんせい)する意図もあったとみられる。

さすが女優だ。セリフは上手い。

スポーツ報知

ツッパリとはほど遠い清楚(せいそ)な格好で登場した三原だが、民主党や鳩山由紀夫首相をメッタ斬り。「民主はヤバイよ。自民にしな」と政権与党にけんかを売った。
白い上下のスーツに知的さを感じさせる眼鏡―。“脱・ツッパリ”を意識した三原が、「女優引退、政界進出」を掲げた。

「ずっと国会議員をやっていきたい。女優に戻ることは考えてない」。小学生時代から30年以上身をおいてきた女優業について「『二足のわらじ』を履けるほど器用ではない」と当選した場合は、きっぱり女優を辞めると明言。現役続行を表明したヤワラちゃんとの違いをアピールした。

関係者によると、7月期の連続ドラマや、1年半以上に及ぶ舞台など、10本以上の仕事のオファーを断った。年間200日以上ある国会での活動を念頭に「ほかの仕事をしながらできるほど甘くない。覚悟してます」と意気込んだ。

国政進出の契機は、2008年に子宮頸(けい)がんを患い、子宮全摘出手術を受けたこと。昨年末、野田聖子元郵政相(49)を訪問。介護行政改革などの必要性を訴え、出馬意欲を伝えた。キャッチフレーズは「守ってあげたい。いのちを懸けて」。がんワクチンの無料化、がん患者の就労支援を掲げ「体験者の私にしかできないことを、本物の命をかけて頑張る」と言い切った。

支持率が下がる一方の民主党政権には「公約したことは達成していただきたい」。1月の施政方針演説で「命を、守りたい」と連発した鳩山首相には「日本の一国のリーダーとして疑問です」と苦言を連発した。
ぬるい国会議員よりは、三原純子が芸能界の苦労は経験である。職をとして頑張るというなら、応援したいと思う。

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