【行動する保守】 気力を失わせる報道を続けるNHKと朝日新聞の意図はどこにあるのだろうか

Kojiyama/ 3月 16, 2010/ オピニオン/ 2 comments

■拡散希望
平河総合戦略研究所メルマガ☆☆甦れ美しい日本☆☆ (2010年3月16日 NO.525号)
をもとに転載しています。            

西田昌司showyouビデオレター「鳩山邦夫氏は議員辞職すべきだ 」(2010.3.15)

◎武田 邦彦  第四章 縮むことを教える教育【勉強しない子供たち】

 NHKのテレビを見て、朝日新聞を読んでいる子供は勉強する気にならないだろう。
 NHKは1990年代の終わり頃から毎日のように「リサイクルは良いことだ」、「ダイオキシンは猛毒だ」、そして「ホッキョクグマは暑い暑いと言っている」と放送してきた。ちょうど、2000年頃、NHKに「リサイクルおばさん」が登場し、毎日のように細かいゴミの分別とか、誰かが捨ててもう使い物にならない物を取り上げて、それがまだ有効に使えるかを説いていた。 
 彼女はエントロピーはもちろん、「材料は劣化する」ということも知らないことは明らかだった。彼女をあれほどの「節約家」にし、それに確信を持ってテレビで全国に呼びかけたのは、「科学」でも「環境」でもなく、彼女の「宗教」であり、それも「日本をダメにする方法」だけに熱心だったのである。もし、彼女が再び公衆の面前に出てきたら、私はいくつかの質問をしたいと思っている。
 また、NHKは2008年の「みんなの歌」で「ホッキョクグマ」というのを流した。北極の氷が融けてクマがおぼれている、気温が高くなってクマが暑くて死にそうだ・・・というすべてウソで固めた詩に曲を付けて流したのだ。

 あるお父さんが「三才になる娘がテレビでこの歌を聴いて泣いて困る」と言っていた。この歌はそれほど日本の子供に大きな影響を与え、「このままでは地球が破滅して、動物が全部、死んでしまう。だから、僕たちは何もしない方がよい」と錯覚させた。

 私の大学の教え子で博士を出た若い研究者が、ある時、私と一杯やっている時に「先生、いま僕はセラミックスの研究をしているのですが、本当に科学を発展させて良いのでしょうか?」と真顔で聞いた。「日本が世界で一番でなくても良いじゃないか」という国会議員がいるぐらいだから、三才の女の子から博士を出た研究者まで、「何もしない方がよい」と思うのも無理はない。
 世界を旅すれば各国の国民や科学者は必死になって発展に向かって努力していることはすぐ判る。そんな中でNHKの存在は日本人をすっかり骨抜きにするだろう。

 NHKに比べて朝日新聞は、戦後、一貫して日本人をスポイルすることに力を注いできたこと、それも日本人の劣情に訴えて支持を得てきたことから言えば、さらに重罪だ。
 朝日新聞が戦後の教育報道で行った数々の犯罪はすでに多くの人が糾弾している。ここでは、環境関係を中心に論を展開しているが、朝日新聞の犯罪例は枚挙にいとまがない。
 サッカリン、チクロ(甘味料)などの食品添加物が「発がん性がある」とされたのは1969年であり、この騒ぎがやがて農薬にも発展して1978年に朝日新聞に連載される有吉佐和子の複合汚染につながる。

 チクロの発がん性はウソであり、2000年9月20日、朝日新聞はその朝刊で「チクロの発がん性は否定された」と訂正報道をした。
 1970年、東京都新宿の牛込柳町で「鉛中毒事件」が起きた。文京区の医療生活協同組合の医師団が住民の血液検査をして、労災の補償基準である鉛の量を超えているとし、朝日新聞がこの記事を連続して掲載した。見出しには「返せ空気を 晴らせ苦痛を」、「なぜ鉛を絶滅できぬ 怒りの住民大会」というのが並んだ。

 ところが事実はまったく違っていた。測定値はすべてウソで、大気中にも住民血液中にも鉛は通常の量とは変わりなかったのである。驚くべきことに、体が不調だとか、苦しんでいるという人すらいなかった。この事件で朝日新聞は「報道は間違っていたが、みんなが鉛の危険性を知ったことが大きかった」という論理を発見し、それを、その後のダイオキシン、環境ホルモン、リサイクル、そして温暖化に使っていく。
 しかし、お父さんの時代からNHKと朝日新聞で「暗い、暗い、将来はない」と言われ続けた若者が「未来に希望をもって勉強する」ことなどあるはずもない。
 日本国民に暗い未来を押しつけ、気力を失わせる報道を続けるNHKと朝日新聞の意図はどこにあるのだろうか。朝日新聞は任意団体であるから取捨選択は社会にゆだねられるが、NHKは即刻、廃止する必要がある。
 なぜかというと誤報ではなく、犯罪だからである。
 (中京大学教授 工学博士)


【MAD】NHKニュース

◎井上 政典 秘密をばらして誰が信用してくれるのか?

 私の友人の支那人は、自国の人間や朝鮮人を信じないと断言しました。でも、日本人は信じると言っていました。朝鮮人の友人が言いました、朝鮮人や支那人は信じれないが日本人は信じる。
 
 二つの国とも日本が大嫌いのはずですが、商売をするのに日本人が間に入らないと支那人と朝鮮人同士では仕事が前に進まないことが多いとも言っておりました。
 それほど、日本人は信用がある民族のようです。
  しかし岡田外相は日米の秘密を勝手に暴いて公表してしまいました。公然の事実で既にみんなわかっていたことですが、それをわざわざ白日の下に晒すことはないことをです。
公然の仲の二人の秘め事を相手が突然公にしたらどんな修羅場が待っているかの想像力もないのでしょうか?一応秘密だから知らん振りしている奥方も証拠を目の前に証拠を突きつけられたら、何もしないわけにはいきません。一緒懸命に自分を抑えて家を守ろうとしていた努力が水の泡になってしまいます。
 この岡田さん、夫婦でけんかもしないし、親友もいないのではないでしょうか?親友の秘密を勝手にしゃべれば相手が怒るということを知らないのでしょうか?そして一度秘密をばらされた相手を信用しないというのも知らないのでしょうか?
 さらに聞いた人も、そうだそうだといっていますが内心秘密を暴露するような人を信用しないということを本当に理解していないのでしょうか?
 もし、知らないのであれば、この人親友と呼べる人が皆無だということを証明したと同然です。だれとタッグを組んで日本を守ろうとしているのでしょう。
 この秘密が明らかになればなるほど、佐藤栄作という総理大臣は苦悩を一人の胸にしまいこんで日本国のために仕事をしたんだなということが切々と伝わってきました。どんなに孤独でつらい決断をしなければならないかったのか、我々では想像も付かないほどです。
 あの新聞記者を締め出してテレビカメラに向かって誰もいなくなった会見場で退任の言葉を寂しそうにしゃべっていた顔が思い出されました。あのときに「おれは日本の安全保障をどれだけ考えてこのような政治をしてきたか分かるか!」と叫びたかったに違いありません。それを抑えてあの当時として沖縄返還という大仕事をするために苦渋の決断もしたのだということが分かり、改めて佐藤総理を凄い人だと思いました。
 鳩山首相よ、長たるものこんなに孤独でつらいものなんですよ。みんなに好かれようと八方美人では日本国の首相は務まりません。みんなに好かれたいのなら、即刻の退陣をお勧めします。するとみんなからとってもいい人だとほめられますよ。
(歴史ナビゲーター)

◎産経新聞【正論】(転載)評論家・西部邁 国家を歯牙にかけぬ民意の堕落

2010.3.16
 「自民党はだらしない」という批判がしきりである。しかし、そう難じる者たちも自民党の未来を本気で心配しているわけではない。自由民主主義の何たるべきかについて、真面目に考えることすらしていないのである。批判する資格のない者たちからかくも激しく叱(しか)られるところをみると、「自民党マイナス政権党はゼロ」ということかもしれない。

 ≪何を「再生」するのか≫

 自民党の内部から「保守再生」の声が挙がってはいる。だが、「保守」の意味が一向に明らかにされていないのだ。保守とは、自由のための秩序を国家の「歴史的」な規範に求め、平等の限界を国民の「歴史的」な公正感に見いだし、友愛に伴う偽善を国民の「歴史的」な節度によって防止する、という姿勢のことであろう。戦後の65年間、それら「歴史的なるもの」が破壊にまかされてきた。それを放置してきたのは、ほかならぬ自民党の責任である。

 いや、昭和期の自民党は歴史の慣性のようなものをひきずっていた。つまり、アメリカ流の自由(個人)民主主義の実行の仕方において、日本流がかろうじて生き長らえていたのである。しかし、平成期の世代交代につれて、その慣性も消え失せた。安倍元首相のように日本の歴史をよびもどそうとする指導者もいたが、小泉改革にみられたように、アプレゲール(大戦後派)による歴史破壊がほぼ完成したのである。「モダン(近代)」の原義は「モデル(模型)のモード(流行)」であるという趣旨で、平成改革という単純な模型が盛大に流行したわけだ。その騒がしい改革運動に自民党も迎合したのである。

 ≪社民主義が氾濫する≫

 アメリカ流の自民主義は自由の過剰としての無秩序を、格差の過剰としての差別を、競合の過剰としての弱肉強食をもたらした。それをみて日本の民主党は、アメリカの民主党と軌を一にし、社会(介入)民主主義を、つまり社民主義を標榜(ひょうぼう)した。平成改革を強く要求したその舌の根も乾かぬうちに、秩序回復、格差是正、友愛喚起を訴えるという二枚舌で、政権を奪取したのである。
 昭和期の自民党も社民的政策を推し進めていたのだが、そこには、無自覚にせよ、国柄保守の態度が何とか維持されていた。派閥や談合といった非公式の場において、少数派の立場にも配慮するという形で、国柄の持つ多面多層の性格を保持せんとしていた。しかし、「改革」がその国柄をついに破砕したのである。その結果、アメリカ主流の自由民主主義とその反主流の社民主義という、ともに歴史感覚の乏しい政治理念のあいだの代理闘争がこの列島で演じられる仕儀となった。

 かかる状況に切り込まずに保守再生をいうのはお笑い種でしかない。必要なのは「保守誕生」ではないのか。日本国憲法は社民主義のマニフェストにすぎないこと、自民党の旧綱領は社民主義へのアンチテーゼにとどまっていたこと、平成改革は国柄喪失の自民主義に突っ走っていたこと、そうした事柄を全面的に省察するのが保守誕生ということである。
 あと3年半は、政権から遠く離れた自民党にとって、保守の国民運動を繰り広げるのに絶好の機会ではないのか。多くの国民も、内心ひそかに、自分らの国柄が米中両国に挟み撃ちされている危機的様子に気づいて、保守誕生を待望していると思われる。

 ≪腐敗していく民衆政治≫

 自民党を怯(おび)えさせ、また民主党を高ぶらせているのは「数の論理」である。「民主主義は多数決だ」(小沢一郎民主党幹事長)という猛々(たけだけ)しい言葉の前で自民党は萎縮(いしゅく)している。しかし、この文句はデモクラシー(民衆政治)の腐敗の明らかな兆候なのだ。

 なるほど、民衆政治は「多数参加の下での多数決制」という数の制度である。しかし、これから正が出るか邪が出るかは、「民意」なるものが優等か劣等かによる。たとえば、議会での議論が必要なのは、民意によって選ばれた多数派の政権も、フォリビリティ(可謬性つまり間違いを犯す可能性)を免れえないからだ。またたとえば、ほとんどすべての独裁が民意によって、換言すると民衆政治を民衆自身が否定することによって、生み出されもした。こういうものにすぎぬ民衆政治を民主主義の理念にまで昇格させたのは、自民主義にせよ社民主義にせよ、近代の理念における錯誤だらけの模型であり流行である。
 デモクラティズム(民主主義)は民衆という多数者に「主権」ありとする。主権とは「崇高、絶対、無制限の権利」のことである。ただし、民衆が「国民」であるならば、国家の歴史に秘められている英知のことをさして、主権という修辞を与えることも許されよう。しかし、平成列島人のように国家のことを歯牙(しが)にもかけない単なる人民の民意に主権を見いだすのは、民衆政治の堕落にすぎない。これから誕生する保守の最初の仕事は、民主主義を国民政治への最大の敵と見定めることであろう。(にしべ すすむ)

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