行動する議員の集団「創生『日本』」

ブログ名を「丹国前向き通信」から「丹の国不易流行通信」に改名しました♪

安倍氏会長の研究会が「創生『日本』」に名称変更
産経IZA 2010/02/05 17:36
 保守勢力の再結集を掲げる自民党国会議員を中心とした「真・保守政策研究会」は5日、自民党本部で総会を開き、会の名称を「創生『日本』」に変更することを決めた。名称変更について会長の安倍晋三元首相は終了後、記者団に対し、「『研究会』から『行動する議員の集団』に脱皮していくためだ。『保守』を取ったことに(特別な)意味はない」と強調した。
 会合では、安倍会長が掲げる「戦後レジームからの脱却」や「社会主義的・全体主義的体質をむき出しにする民主党政権から一日も早く政権を奪還する」とする運動方針を採択した。会員も現職の国会議員だけでなく、先の衆院選で落選した議員らにも広げることを決めた。

平沼氏「懐かしい場所に戻ってきた」
2010/02/05 17:41
平成17年夏に郵政民営化に反対して自民党を離党した無所属の平沼赳夫元経済産業相が5日、「創生『日本』」の会合に出席するため、4年半ぶりに党本部を訪れた。平沼氏は「懐かしい場所に久しぶりに戻ってきたな」と感慨深げだったが、復党の可能性には「自民党のいい人たちとは連携していきたい」と述べ、否定した。

偶然だけど、「真・保守政策研究会」も名称を「創生『日本』」に変更したようです。真・保守というのはイデオロギー的に分かるようで、「保守」と「真の保守」とはどう違うのかが不明確なだから「創生『日本』」は正解だろう。

2.2「頑張れ日本!全国行動委員会」の総決起集会
チャンネル桜が2月2日に「【頑張れ日本!】日本解体阻止!全国総決起集会」を開き、安倍晋三、平沼赳夫、下村博文、高市早苗、山谷えり子、衛藤晟一、西田昌司、稲田朋美、大江康弘、城内 実、中山成彬、西村眞悟、赤池誠章、萩生田光一、馬渡龍治、林 潤各氏が出席した。こうしたメンバーが党派を越えて集結するだろう。自民党も民主党も各議員は理念が一色ではなく政党としてはわかりづらい。そんな名ばかりの政党名ならいらないじゃないか!国鉄がJRになり、電電公社はNTT、自由民主党もJMにするとか(^_-)。
平沼氏は参議院選に向けて新党旗揚げを表明している。「創生『日本』」は会派ながら、よりこれらの名ばかりの政党よりも理念はひとつだ。チャンネル桜からも参議院選に三名が立候補を表明している。同じ会派に入るのかは分からないが、理念は同じなので連携はとるだろう。民主主義や社会主義なんてイデオロギーは西洋のたかだか20世紀以降のものであり、しかも冷戦以降は古くさいのである。世界最古の国家であるなら「日本主義」でよいのだ。
「義挙」とは、正義のために起こす企てや行動。
政治を変えようと思っていたら議員になっていた。本来はこれが自然だ。

豆知識 幕末の三大義挙
天誅組の変、生野(いくの)義挙、天狗党の乱。日本の明治近代化は龍馬だけではない!
生野の変、生野の乱ともいう。幕末の文久3年(1863年)10月に但馬国生野(兵庫県朝来市生野町)において尊皇攘夷派が挙兵した事件。
文久3年(1863年)8月、吉村寅太郎、松本奎堂、藤本鉄石ら尊攘派浪士の天誅組は孝明天皇の大和行幸の魁たらんと欲し、前侍従中山忠光を擁して大和国へ入り、8月17日に五条代官所を襲撃して挙兵した。代官所を占拠した天誅組は「御政府」を称して、五条天領を天朝直轄地と定めた(天誅組の変)。
天誅組の過激な行動を危惧した公卿三条実美は暴発を制止するべく、学習院出仕の平野国臣(福岡脱藩)を五条へ送った。
その直後の8月18日、政局は一変する。会津藩と薩摩藩が結んで孝明天皇を動かし、大和行幸の延期と長州藩の御門警護を解任してしまう(八月十八日の政変)。情勢が不利になった長州藩は京都を退去し、三条実美ら攘夷派公卿7人も追放された(七卿落ち)。
変事を知らない平野は19日に五条に到着して、天誅組首脳と会って意気投合するが、その直後に京で政局が一変してしまったことを知る。平野は巻き返しを図るべく大和国を去った。
天誅組は十津川郷士を募兵して1000人余の兵力になるが、装備は貧弱なものだった。高取城攻略を図るが失敗し、9月に入って周辺諸藩からの討伐を受け、多勢に無勢で各地で敗退し、9月27日に壊滅した。
八月十八日の政変で桂小五郎(木戸孝允)は但馬出石(豊岡市)や城崎へ逃れ隠れる。
但馬国は小藩の豊岡藩、出石藩以外は天領が多くを占めていた。同国の生野銀山が有名だが、幕末の頃には産出量が減少し、山間部のこの土地の住民は困窮していた。生野天領では豪農の北垣晋太郎が農兵を募って海防にあたるべしとする「農兵論」を唱え、生野代官の川上猪太郎がこの動きに好意的なこともあって、攘夷の気風が強かった。薩摩脱藩の美玉三平(寺田屋事件で逃亡)は北垣と連携し、農兵の組織化を図っていた。
平野は長州藩士野村和作、鳥取藩士松田正人らとともに但馬で声望の高い北垣と結び、生野での挙兵を計画。但馬に入った平野らは9月19日に豪農中島太郎兵衛の家で同志と会合を開き、10月10日をもって挙兵と定め、長州三田尻に保護されている攘夷派七卿の誰かを迎え、また武器弾薬を長州から提供させる手はずを決定する。
28日に平野と北垣は長州三田尻に入り、七卿や藩主世子毛利定広を交えた会合を持ち、公卿沢宣嘉を主将に迎えることを決めた。平野らは更に藩としての挙兵への同調を求めるが、藩首脳部は消極的だった。
10月2日、平野と北垣は沢とともに三田尻を出立して船を用意し、河上弥市(元奇兵隊総管)ら尊攘浪士を加えた37人が出港した。10月8日に一行は播磨国に上陸、生野へ向かった。一行は11日に生野の手前の延応寺に本陣を置いた。この時点で大和の天誅組は壊滅しており、挙兵中止も議論され、平野は中止を主張するが、天誅組の復讐をすべしとの河上ら強硬派が勝ち、挙兵は決行されることになった。
播磨口の番所は彼らを穏便に通し、12日未明に生野に入った。生野代官所は彼らの動きを当然察知していたが、代官の川上猪太郎が出張中なこともあり、代官所を無抵抗で平野らへ明け渡した。藩と違い、天領の代官所は広い地域を支配している割には軍備が手薄であり、天誅組の挙兵の際も五条代官所は40人程の浪士に占領されている。
生野での挙兵はあっけなく失敗したが、この挙兵は天誅組の挙兵とともに明治維新の導火線となったと評価されている。
元治元年(1864年)7月の禁門の変の際に平野は幕吏によって六角獄舎で殺害された。
北垣晋太郎は生き残り、北垣国道と名を代え 高知県県令、のち徳島県県令を兼任。1881年、第三代京都府知事となる。日本初の琵琶湖疎水や発電、市電を通し天皇が東京に移られさびかけた京都を復興。 近代産業都市としての京都建設に大いに貢献した。北海道庁長官、 貴族院勅選議員、 枢密顧問官に就任。死去。
但馬の山名宗全が応仁の乱で京都を燃やし、沢庵和尚が大徳寺と仏教を守り、北垣が京都を再興したのは同じ但馬人の京都への何とも言えない因縁であり誇りです。
豆知識 豊岡市の偉人(政治・教育・経済と最近の有名人に限る)
靖國神社 宮司 京極高晴(1938年~)
2009(平成21年)6月15日~豊岡藩京極氏15代当主。前任者の南部利昭に続いて神職経験のない宮司である。東京生まれ。1961年東京大学法学部卒。日本郵船事業部長を経て、横浜市にある氷川丸マリンタワー社長。関東曳船社長などを歴任。
実父の第14代当主・高光は貴族院議員で俳人であった(号は杞陽)。本人も俳句をたしなんでいる。3月には「まだ迷ふ九段下駅春浅し」と詠んだ。
斎藤 隆夫
豊岡市出石町出身。与党衆議院議員。「普通選挙賛成演説」、戦前期に、「粛軍演説」「国家総動員法案に関する質問演説」「反軍演説」弁舌により帝国議会で軍部やファシズムに抵抗した。ただし反戦ではなく軍部の暴走と政治介入をエール大学留学などの民主主義思想から批判した。
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山名宗全(持豊) 室町幕府の四職・応仁の乱西軍大将(旧出石町)
沢庵宗彭(禅僧・旧出石町) 大徳寺住持・紫衣事件・沢庵漬けは師の発案かは不明。
香林院(赤穂藩家老大石内蔵助の妻、豊岡藩家老石束家娘りく)
桜井勉(校補但馬考著者・気象測候所創始者・徳島県知事、山梨県知事、台湾新竹知事、内務省神社局長。現在の京都府と兵庫県設立に貢献。旧出石町)
加藤弘之(東京大学初代綜理・旧出石町) 但馬国出石藩(現在の兵庫県豊岡市)の家老筋の藩士・加藤正照、妻・錫子の長男として生まれる。江戸に出て佐久間象山に洋式兵学を学ぶ。 蕃書調所教授手伝となる。この頃からドイツ語を学びはじめる。幕臣となり開成所教授職並に任ぜられる。明六社に参加。「民撰議員設立論争」では時期尚早論を唱えた。貴族院議員、帝国学士院院長、枢密顧問官などを歴任した。
濱尾新 江戸詰めの豊岡藩士・濱尾嘉平治の子として生まれる。藩費遊学制度により慶應義塾および大学南校に学ぶ。 ヨーロッパに留学。東京大学創立にあたり、法理文三学部綜理補として同郷の法理文3学部綜理(のちに東京大学総理)加藤弘之を補佐。のち東京大学総長・東京美術学校(東京芸術大学)初代校長。幹事は岡倉天心。貴族院勅選議員。枢密院議長・文部大臣
太田垣士郎(豊岡市城崎町) 京都帝国大学経済学部卒業。日本信託銀行入行後、阪神急行電鉄(現:阪急阪神ホールディングス)に移り、1946年社長。1951年、電力界の再編成が行われ、関西電力が誕生すると同時に初代関西電力社長に就任。黒部ダム建設で有名。このクロヨン建設計画でた一連の難工事の経緯は石原裕次郎&三船敏郎主演映画『黒部の太陽』(監督:熊井啓)で全国に知られるようになる。関西電力は電力業界で、経営内容において業界一を誇ったが、その基盤を確立させたのが「クロヨン」だった。クロヨンの成功をはじめとして、新しいエネルギーである原子力に着目、日本で初めて原子力発電所(福井県美浜)に着手するなど、つねに先端技術を経営に生かした。旧民社党の佐々木良作氏(養父市)は関電出身。

植村直己(冒険家・旧日高町)
今井雅之(俳優・旧日高町)
能見篤史(プロ野球選手・阪神タイガース・旧出石町)
紀氏隆秀(日本プロサッカーリーグ・ヴィッセル神戸)
ミラクルひかる(ものまねタレント・豊岡市)など。

議員になりたくて頭を下げてやカネを使ってまで成りたくない。私は少なくとも鳩山や小沢、自民党の屁垂れよりは良識がある。なぜ小沢や菅、山岡のような在日朝鮮人の国会議員が独裁するほど政治がだめなのか?
日本を良くしたい人が権力ではなく政治をすべきだ。
今の日本の議員制度がおかしいのである。
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