自民党が元に戻るチャンスだ

/ 1月 24, 2010/ オピニオン/ 0 comments

今日は一日放送大学前期の試験日で京都に行って来た。
ヨーロッパ政治史
地中海世界の歴史
日本政治外交史
日本近現代史
めったにないことに記述式ばかり。年に2回の鉛筆を握り手が疲れた。(;^_^A アセアセ…
3年(中退)過ごした大学が京都だったので京都は第二のふる里っていうか、ほっこりする。
23日は小沢氏聴取の時に、自民党本部では野菜がどうの、たこ焼きバザーがなんたらで何をやっているのかと心配していたが24日は党大会だったの?読み返してみたら、

24日の党大会を前に、全国から都道府県連幹部らが集まっていた自民党本部では23日、1階で野菜の即売会や焼きそば、豚汁などの屋台が並び、エプロン姿の大島理森(ただもり)幹事長がお好み焼きに腕を振るった。民主党の小沢一郎幹事長が東京地検の事情聴取を受けたのとは対照的だった。

煮ても焼いても自民党。テストで宮沢政権から橋本政権までの変遷を述べよ。
テストにまで小沢一郎を書かずにいられない問題児であることが改めて腹が立った。
せっかくの機会だと
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/349680/の
自民党新綱領の要旨を見て少しはほっとした。
【わが党は常に進歩する保守政党である】
(1)正しい自由主義と民主制の下に、時代に適さぬものを改め、維持すべきものを護り、秩序の中に進歩を求める
(2)勇気を持って自由闊達(かったつ)に真実を語り、協議し、決断する
(3)多様な組織と対話・調整し、国会を公正に運営し、政府を謙虚に機能させる
 【わが党の政策の基本的考えは次による】
(1)日本らしい日本の姿を示し、世界に貢献できる新憲法の制定を目指す
(2)日本の主権は自らの努力により護る。国際社会の現実に即した責務を果たすとともに、一国平和主義的観念論を排す
(3)自助自立する個人を尊重し、その条件を整えるとともに、共助・公助する仕組みを充実する
(4)自立と秩序ある市場経済を確立する
(5)地域社会と家族の絆(きずな)・温かさを再生する
(6)政府はすべての人に公正な政策や条件づくりに努める(イ)法的秩序の維持(ロ)外交・安全保障(ハ)成長戦略と雇用対策(ニ)教育と科学技術・研究開発(ホ)環境保全(ヘ)社会保障等のセーフティーネット
(7)将来の納税者の汗の結晶の使用選択権を奪わぬよう、財政の効率化と税制改正により財政を再建する
 【わが党は誇りと活力ある日本像を目指す】
(1)家族、地域社会、国への帰属意識を持ち、自立し、共助する国民
(2)美しい自然、温かい人間関係、「和と絆」の暮らし
(3)合意形成を怠らぬ民主制で意思決定される国と自治体
(4)努力するものが報われ、努力する機会と能力に恵まれぬものを皆で支える社会。その条件整備に力を注ぐ政府
(5)すべての人に公正な政策を実行する政府。次世代の意思決定を損なわぬよう、国債残高の減額に努める
(6)世界平和への義務を果たし、人類共通の価値に貢献する有徳の日本
たくさんあるとぼけるが、【わが党の政策の基本的考えは次による】のとくに、
(1)日本らしい日本の姿を示し、世界に貢献できる新憲法の制定を目指す
じゃないの?
ともかく。わけのわからない民主党やその他の党よりは、スッと分かる。
みんな国民の多くは分かっている当たり前のことばかりだ。
一番分かってないのが万年政権与党だった自民党だよね。
遠藤元衆議院議員がチャンネル桜で語っていることだ。

1/4【討論!】小沢問題と鳩山内閣の行方[桜H22/1/23]

2/4【討論!】小沢問題と鳩山内閣の行方[桜H22/1/23]

3/4【討論!】小沢問題と鳩山内閣の行方[桜H22/1/23]

4/4【討論!】小沢問題と鳩山内閣の行方[桜H22/1/23]
司馬流か風太郎流か
大正時代の日本の政治は、明治国家の骨格を継承しながら、政党政治とプロジェクト政治という二つの大きな潮流に分かれいく特徴を持っている。政党政治を継承したのが原敬、プロジェクト型の政治を推進したのが後藤新平である。奇しくも二人は岩手県(原は南部藩、後藤は水沢藩)の生まれであり、原は1856年、後藤は1857年と二人は一歳違いで同世代である。薩長藩閥から地理的にも遠く離れた東北地方から、転換期の大正を担う対照的な政治家が誕生したことは、特筆に値するであろう。
ところで明治日本を描くのには、二つの対照的な方法論がある。一つは司馬遼太郎の『坂の上の雲』をはじめとする一連の歴史小説に見られるもの。ここでは一人の主人公、あるいはその一人をとりまく複数の主人公が成長していく過程を、明治日本の発展過程と重ね合わせながら叙述をしていく。
これに対して、いま一つは山田風太郎の『明治伝記小説集』に象徴される。ある個性の持ち主が別の持ち主と偶然出会うことから事件が起こる。…
司馬遼太郎の明治日本は、ひたすら前へ進んでいくと、周囲の明かりが照らし出す中に世界の行く先が浮かび上がってくる。他方山田風太郎の明治日本には、横への思わぬ広がりが示される中で、舞台全体がせり出していく様相が浮き彫りにされる。
実はこの二つの方法論は、明治から大正にかけてのかの二人の政治家を表現するのに応用が可能なのだ。まず原敬には司馬遼太郎が相応しい。つまり原の政党政治家を表現するのに、後藤新平の場合は、山田風太郎の方法が適合的である。
また原敬は、衆議院議員であり政友会総裁で首相となった者は爵位を持っていたが、爵位を有しない「平民宰相」と呼ばれた。しかし、原は政党を単なる反政府勢力と位置づけることから、国家利益を考え積極的に当地を担う組織へと転換すべく、すべての勢力を集中していく。そのために党に政治資金を集中すると同時に、ポストを提供し地方利益を培養することを促進した。
他方で原は、官僚出身者や財界人の入党を促進し、党の統治能力を高め、他のアクターの信頼を勝ち得ようと図った。人材と共に原が取り組んだのは、星亨以来の地方利益養成培養政策の精緻化であった。それはインフラ(鉄道・道路・河川・港湾)の整備を地方的視点から体系的に行うものに他ならない。それはこの時期の鉄道政策に如実に現れる。日露戦後の鉄道政策は二つに大別できる。第一は国家主義的幹線強化(広軌化)であり、これは桂内閣鉄道員総裁の後藤新平に代表される。これに対して第二は地方主義的路線拡大(狭軌化)であり、原によって推進された。「我田引鉄」と称された所以である。かくして地方のインフラ整備は、政友会の党としての機能を高めていく。JRのレール幅が狭軌であり、大陸の満州鉄道やのちの新幹線や私鉄は広軌であるのはこのためだ。
原の政党化戦略とは、第一は衆議院に多数を占める政友会の絶対多数化であり、山県らの三党県立論を退けた。第二に貴族院の多数派たる研究会を親政友会化し、いわば貴衆両院を横断する形での政友かの支配を確立する。第三に陸海軍の親政友会化であった。
こうした強力なリーダーシップの発揮を目論んだ原であるが、その評判は世間的には決して芳しいものではなかった。星亨がそうであったように、ここでも政党は腐敗やスキャンダルの象徴として、ダーティイメージでとらえられていた。原は新聞記者と書生論を闘わすことを好んでいたが、世上の評判に対しては、出る釘の頭を叩いてばかりいると日本に優れた政治家はいなくなると警告した。
小沢一郎は同郷である原について間違いなく勉強したかも知れないが、原敬や田中角栄のモノマネ以外に何も哲学はない。良識ある政治家が理解できないほどにあまりにも非常識な暴挙ゆえに恐ろしく、それはヤクザだ。
小沢を買い被っているのである。それが見えてきた結論である。
原敬は「地位は人をつくる」タイプ、藩閥による地縁にもとづく人材登用、政友会という組織拡大のための人材登用。後藤新平は、それとは全く違うあくまでもプロジェクト本意の人材登用を貫いた。
後藤は「器量が地位をつくる」タイプで、数多くの国家プロジェクトに携わり、後藤という人間の器は、およそ地位に自らを合わせ、上位の権力にすり寄らず、大衆にこびを売るといった形に当てはまらなかった。むしろ用意された肩書きは何であれ、パトロンの全面的信頼の下に、自らの力でプロジェクト型政治を運営していく器量を有していたのである。-「日本政治外交史」
民主党はダメだ。キチガイ政党である。その誕生は自民党の体たらくだ。
良くも悪くも自民党は日本人的な政党でおおらかでのんびりしている人たちだ。
そこがポイントだ。でもそれが日本的で好きだし安心できる。
与党だから右も左も集まってきた。もう、ピンチはチャンスなのではないか。わざわざ党名変更するよりも利権や権力を欲しいために自民党にいた年寄りや国を思う意識のない人はこの際辞めていただこうじゃないか!
おじんはともかく、加藤紘一、中川秀直、舛添、河野太郎などは追い出せばいい。
小沢反日と共にNHKも朝日も、アホは日本から追い出そう!(^_-)
みんなもっと賢いし忙しいのだから。
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