隣のこまったちゃん(3) 「寿命間近」の中国共産党

/ 10月 1, 2009/ トピックス/ 0 comments

 中華人民共和国の建国60周年をを祝う国慶節が、1日午前、北京の天安門広場で開かれた。胡錦濤国家主席(中国共産党総書記、中央軍事委員会主席)が人民解放軍の部隊を閲兵。1999年の建国50周年の式典以来10年ぶりに軍事パレードが行われ、大陸間弾道ミサイル(ICBM)「東風31A」など最新兵器が登場した。
is Media 2009年10月01日(Thu) 城山英巳
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/543

 慶祝ムードでの閉幕が予想された中国共産党第17期中央委員会第4回総会(4中総会)は、悲壮感を残したまま終了した。9月18日の閉幕後に公表された「公報」(コミュニケ)はこう締めくくられた。

 「永遠に人民の信頼と期待を裏切らない!」。

 翌日の共産党機関紙・人民日報社説の見出しも同じ一文。4中総会で採択された「新情勢下の党建設強化・改善に関する決定」(9月27日公表)でもやはり「締め」はこのフレーズだった。現在の共産党の実情を語る上で欠かせないキーワードなのだ。

 別に民衆の共産党離れは今に始まったわけでなく、幹部の腐敗が氾濫し、民衆の怒りが爆発する中で、党内を強く引き締める政治的狙いがあるのは間違いないが、どうも今回の危機感はいつもと違う、というのが中国消息筋の解説である。これまで共産党のイベントの際に締めくくる一文は「中華民族の偉大な復興実現へたゆまず奮闘しよう」(2004年の第16期4中総会)、「人民の幸せな生活のため努力奮闘しよう」(07年の第17回党大会)など「奮闘・努力型」が圧倒的で、「悲壮型」は異例だからである。

 こうした中、4中総会前に起こった日本の自民党下野が、共産党の未来と絡めて指摘されていたことが興味深い。胡錦濤総書記(国家主席)の理論面のブレーンとされる中共中央党校党建教研部主任・王長江教授が「われわれの党も一党長期執政であり、その大量の教訓と経験はわれわれが研究するに値するものだ」とネット上で語ったのである。

 「共産党はあと何年持つのか」という議論が党内で語られ始めたのは、胡錦濤総書記が党の執政能力強化を唱え始めた04年頃からだが、「中国共産党寿命論」への危機感はますます真剣さを増してきた。

 異例の事態はそれだけではない。「公報」に「党と人民群衆の血肉関係」の維持・強化を訴える文句が繰り返されたことだ。人民日報ネット版「人民網」は、「網民」(ネット読者)からの「4中総会公報はなぜ4回もこの言葉を繰り返したのか」という投稿(9月23日)を載せたが、本当に投稿かどうかは別にして、これが共産党指導層の声を代弁したものであることは間違いない。

  「投稿」は「4回も繰り返したのは執政の基本が、人心の向背(支持と反対)であるからだ。水は船を運ぶことも、転覆させることもできる」と指摘する。民心を失えば、共産党も滅びうるということを示唆したものだが、民の「反乱」を極度に恐れる胡錦濤総書記の胸の内を見事に言い当てている。

民衆の暴動は激しさを増す一方

  4中総会に先駆けて、国営新華社通信発行の『瞭望』誌(9月7日号)は、最近はめったに公にしない群体性事件(集団抗議・暴動)に関するデータを記載した。

 「今年上半期、全国の群体性事件は前年比で増加した。05年以来、連続して下降した後、初めて反転し、その中でも500人以上の群体性事件の増加は高度警戒に値する。特にある地方で発生した重大群体性事件は参加した民衆が多く、中身は複雑で、やり方は激烈だ。対抗性や破壊性は強くなり、交通を遮断し党・政府機関を包囲・攻撃、さらに破壊・焼き打ちさえも行っている」。

 この文章は群体性事件の総数には触れていないが、05年は全国で群体性事件が年8万7000件(1日当たり238件)も発生。民の憤慨は一向に収まっていないことを同誌は暴露したのだ。役人や警察への個人的な小さな恨みに、何か偶発的な問題で火が付くと、その問題に直接関係のない周りの群衆までもが連鎖的に普段から溜めた鬱憤を燃え上がらせ、共産党体制への不満に発展するのが中国社会の危険な現実なのだ。

 『瞭望』は「近年発生する重大な群体性事件の教訓をくみ取るべきだ」と訴えたが、4中総会「公報」も「学習型政党」に変身するよう強く要求した。その背景には、「学ばないと(共産党は)落後するに違いない」(胡錦濤総書記)という強烈な危機感があるのは言うまでもない。

 胡氏らの頭には、農民らの反乱で弱体化、崩壊した明代(1368~1644年)・清代(1644~1912年)の末路が頭によぎっているだろう。

 中国歴代王朝崩壊は、腐敗や格差を是正できない専制政治に怒った農民・民衆ら「民」が立ち上がった歴史だ。明・清代にも「民変」と呼ばれる民衆の官に対する暴動が多発しているのも現在と酷似する。これを立証するかのように、中国政府シンクタンク・中国科学院の「持続可能発展戦略研究組」の牛文元組長は04年、所得格差の度合いを表すジニ係数(1に近いほど格差は大きい)を用いてこう指摘したのだ。

 中国には目に見えない民意がある。混沌の中で民衆が動いている」と指摘する溝口雄三東京大学名誉教授(中国思想史)は、筆者に「確かに今は明末・清末の状況と似ている」と述べ、「私的権益を主張する民衆の力が広がっている。民衆が経済に食い込みながら次の体制の担い手としての力を蓄えている時期だ」と続けた。

 共産党は「歴史」から学習する必要性を痛感しているとみられ、現に「最高指導者は、研究者の王滬寧中央政策研究室主任を呼んで中国史の学習会を行ってきた」(共産党筋)とされている。

民心を失えば自民党と同じ運命に

 このほかに「学習」の対象となっているのが自民党だ。中央党校の王長江教授は、総選挙で自民党が大敗した翌日の8月31日、「人民網」に登場、こう指摘した。

 「われわれが政党比較を行う際、日本の自民党は非常に重要な問題だ。理由は簡単だ。日本では1955年から、政党体制は実際のところ一党体制すなわち自民党の一党長期執政であり、93年まで38年間にわたり長期執政だった。自民党に対してわれわれは一貫して関心を抱いてきた」。

 ちなみに改革派の法学研究者・賀衛方北京大学教授は筆者に対し、共産党も自民党のように派閥を作れば、党内議論が活発になるとし、中国の政治改革の方向として「自民党のようなあり方も選択肢の一つだ」との見方を示したこともある。

 いずれにしても、共産党にとって自民党は長期安定システムのモデルだったのである。その自民党が、一夜にして下野した。民心を失ったままでは共産党も自民党と同じ道を歩むのでないか。そして直接選挙をはじめとする西側民主主義の怖さも思い知ったに違いない。

崩壊したソ連に近づく中国共産党の寿命

 共産党が今、教訓とするのは中国史、自民党、そして91年末に崩壊した、同じ社会主義の仲間だったソ連だ。当時の最高実力者・鄧小平氏は同年8月、ソ連解体の引き金となった保守派によるクーデター未遂事件が発生した翌日、江沢民共産党総書記(当時)らを一堂に集め、こう危機感をあらわにした。「中国が安定しているのは89年の動乱(天安門事件)で社会主義を堅持し、さらに改革・開放も堅持しているからだ」(『鄧小平年譜』)。そして翌年、老体にむち打ち改革・開放加速への大号令を呼び掛けた鄧氏の南方視察につながる、というわけだ。南方視察は、共産党の永続に向けた鄧氏の賭けだった。

 04年には中国国内でこんな議論が出た。「ソ連共産党崩壊時の党齢は93歳。執政年齢は74歳。ソ連の失敗は、共産党と民衆との関係が良好でなかったことが大きな原因だ」(『瞭望』)。4中総会「公報」は「共産党成立88年、執政60年、改革・開放指導30年」と触れたが、ソ連共産党の「寿命」が気になっている表れだ。

 胡錦濤総書記は「党の執政地位は現在あるからと言って永遠にあるものではない」と繰り返しているが、鄧小平氏がかつて成し遂げた党の延命をどうやって実現するのか。そのカギは、「民」の声を政治に反映させる制度化を急ぎ、民から信頼される執政党に生まれ変わる政治改革を実現することにしか答えはない。

「中華思想」の変容

 宮家 邦彦氏は、地球上のすべての民族・人間集団は、大なり小なりエスノセントリック(自民族中心主義的)だからである。

 「ジコチュウ」という点なら、アラブ人も中国人に負けてはいない。カイロ、バグダッド、北京に合計8年間住んだ個人的体験から申し上げれば、両者のメンタリティーは驚くほど似通っていると思うからだ。典型的な5つの共通点を挙げてみよう。

その1:世界は自分を中心に回っていると考える
その2:自分の家族・部族以外の他人は基本的に信用しない
その3:誇り高く、面子が潰れることを何よりも恐れる
その4:外国からの経済援助は「感謝すべきもの」ではなく、「させてやるもの」だと考える
その5:都合が悪くなると、自分はさておき、他人の「陰謀」に責任を転嫁する

 これらはいずれも開発途上国に概ね共通する、「対先進国劣等感」の裏返しだ。中国思想史や中国政治論などの学術的、専門的立場から十分検証することなく、「中華思想」なる概念を定義し、それに基づいて現代中国の行方を論じることが如何に空虚であるか、よく理解いただけると思う。
 こうした状況を生き生きと描いたのが、魯迅の『阿Q正伝』だ。欧州列強の植民地支配に直面した中国民衆の権力者に媚びる卑屈な姿を描いたこの作品は、同時に、「華夷思想」を失い精神的優越感まで喪失した魯迅ら中国知識人たちの魂の叫びでもあった。

当時の中国知識人が考えたのは、伝統的な「中華」の担い手である「漢族」を、当時の支配者「満族」から解放することによる国家再建だった。いわゆる「滅満興漢」運動である。しかし、ここで漢族、中華に言及したこと自体、当時彼らが伝統的な「華夷思想」と決別できなかったことを示している。「華夷思想」とは、かくも強力なDNAであったのだろう。

 やはり、現代中国の尊大さ、身勝手さ、狡猾さの原因は伝統的「華夷思想」にありと断ずることには無理がある。むしろ、中国がその古めかしい「華夷思想」を十分克服しきれず、アヘン戦争から170年経っても、欧米諸国に対し新たな中国の国家像・国際秩序モデルを示し得ないことへの「劣等意識」こそが最大の原因ではなかろうか。

逆も真なり

 ここからは自分の考えだが、いわば、建国60年の中国が支えてきたものは、中華思想や華夷秩序ではなく、アヘン戦争・日清戦争からの対先進国劣等感である。そして米ソ冷戦が崩壊した今、共産党が最も脅威に感じているのは外敵ではなく目に見えない56民族のそれぞれの民意であるのだ。中国の国家像・国際秩序モデルを抗日で示すことで民意の不満を抑えようとしてきた。それには政府のプロパガンダと武力で制圧するしかない。それは朝鮮半島も同じだ。

 第二次大戦の処理や南京大虐殺・靖国神社問題は決着していた。もともと朝日新聞がでっちあげた捏造記事である。それにもまして、国会議員たちの歴史認識のなさが招いた結果だ。それを中共や韓国は国内の反抗回避に利用しようと考えた。しかし、国内の人民は、インターネットの普及により、外国製品や文化、海外旅行の自由化が進むと、共産党政府から乖離しはじめ、自由経済解放はやがて必然的に人権と自由選挙の要求が高まってくるのは避けられないだろう。

 絶えず中国共産党は日本の自民党政治と経済発展をモデルに意識してきたから、鳩山民主党政権が誕生したことでその対応と、10年ぶりに北京オリンピックよりも盛大な建国60周年行事を開催した意味が同時期であることは、いまごろ北朝鮮でもやらないような他国が奇異に感じ、好印象をもたらさない大規模な軍事パレードは、国内民意への執政能力が失われていることへの軍事的な権威発揚しかないという裏返しであることをみなければならない。

 だとすれば「逆も真なり」「的を欺くにはまず味方から」で、朝日新聞とNHKが襟を正して捏造・偏向だったことを謝罪する記事・番組を行うことが最も早い解決かも知れない。そして、日本政府が国会で慰安婦問題も含めてすでに戦争は決着済みであり、調査の結果、事実が確認できないことを改めて発表することも、日本の課題だが、それよりも中国共産党への怒りが収まらなくなり、「民変」がいつ暴発する方が先かも知れない。もともと旧ソ連と同じく武力で殺戮と弾圧を経て成立した中共であるから、56の民族を弾圧で抑え、また、都市部と農村部の格差は一国で統一することなど、5000年経っても長く続かなかったのだから、分離独立は避けられないだろう。どだい共産主義は空想であり無理な思想なのである。自民党が賞味期限が切れたなら、師を失った中共も賞味期限が切れるはずだ。

 その機が熟すまでは、そんな遠い未来ではない気がする。あとしばらくで、民主化と歴史問題は意外にも決着するかもしれない。小泉元首相が破壊的な変人なら、鳩山首相の良い点をあげるとすると、頭が良すぎるのか、ほんとは世間離れしたお人好しなのか、中韓にとって、とらえどころがないから攻め方が分からない、宇宙人だからだ。

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